脳下垂体腺腫とは何か
脳下垂体腺腫は、脳の奥、視床下部の下にある脳下垂体にできる良性の腫瘍です。この腺は、体全体のホルモンバランスをコントロールする「司令塔」のような役割を果たしています。実は、一般人口の約10%が何らかの脳下垂体腺腫を抱えているとされていますが、ほとんどの人は症状がなく、気付かないまま一生を過ごします。
しかし、腫瘍がホルモンを過剰に分泌すると、体に深刻な影響が出ます。特に多いのが「プロラクチノーマ」で、脳下垂体腺腫全体の40~60%を占めます。これは、プロラクチンというホルモンを大量に作り出し、女性では月経が止まったり、乳汁が出たり、男性では性欲の低下や勃起障害が起きる原因になります。
プロラクチノーマの症状:気づきにくいけど重大なサイン
プロラクチノーマの症状は、性別によって大きく異なります。女性では、月経が止まる(無月経)、乳汁が出る(乳汁分泌)、性欲の低下、不妊--これらが典型的です。95%の女性患者が、少なくとも一つのこれらの症状を経験します。でも、多くの人が「更年期のせい」「ストレスで体調が悪いだけ」と思い込み、病院を受診するのが遅れます。
男性の場合は、性欲の低下や勃起障害が主な症状ですが、30~40%の男性は「乳汁が出る」という症状も報告しています。これは、プロラクチンが男性の乳腺にも影響を与えるためです。また、腫瘍が大きくなると、視神経を圧迫して視野が狭くなる(視野欠損)こともあります。特に、腫瘍が1cmを超える「マクロアデノーマ」では、このリスクが高まります。
プロラクチンの値が200ng/mLを超えると、ほぼ確実にマクロアデノーマです。100ng/mL以下なら、小さな腫瘍(マイクロアデノーマ)の可能性が高いですが、症状がなくても放っておくのは危険です。
診断は血液検査とMRIがカギ
プロラクチノーマの診断は、まず血液検査から始まります。プロラクチン値が150ng/mL以上であれば、95%の確率でプロラクチノーマと診断されます。ただし、ストレスや睡眠不足、胸の刺激、一部の薬(抗うつ薬や胃薬など)でもプロラクチンは一時的に上昇するため、検査前にはこれらの要因を医師に伝える必要があります。
次に、MRI検査で腫瘍の大きさと位置を確認します。3mm厚の薄いスライスで撮影する必要があります。腫瘍が1cm以下ならマイクロアデノーマ、1cm以上ならマクロアデノーマと分類されます。視野の異常が疑われる場合は、視野検査(視野計)も行います。
プロラクチンが高くて、MRIで腫瘍が見つからないケースもあります。この場合は「マクロプロラクチン」という大きな分子が血液中に増えていて、検査で誤って高い値が出ている可能性があります。この場合、プロラクチンの分子構造を分析する検査が必要です。
治療の第一選択:薬物療法が圧倒的に効く
プロラクチノーマの治療で、まず勧められるのは薬物療法です。特に「カベルゴリン」が第一選択薬です。これは、脳内のドーパミン受容体を刺激して、プロラクチンの分泌を抑える働きがあります。
カベルゴリンの標準的な用量は、週に0.25mgを2回(合計0.5mg)から始めます。1~2週間ごとに少しずつ増やしていき、通常は週に1~2mg(最大3.5mg)まで調整します。多くの患者が、飲み始めて4~6週間で症状が改善し、3か月以内にプロラクチン値が正常に戻ります。
腫瘍のサイズも縮小します。マイクロアデノーマでは85%以上、マクロアデノーマでも70%以上の患者で腫瘍が小さくなります。ある症例では、プロラクチン値が5200ng/mLだった34歳の女性が、カベルゴリンを6か月で18ng/mLまで下げ、腫瘍も70%縮小しました。
カベルゴリンの利点は、副作用が比較的少ないことです。悪心やめまいはありますが、従来の薬「ブロモクリプチン」に比べて、服用をやめる人の割合は半分以下です。ブロモクリプチンでは45%の人が悪心で断念するのに対し、カベルゴリンでは18%程度です。
手術は、薬が効かないときや緊急のときに
薬でうまくコントロールできない場合、または腫瘍が大きすぎて視神経を圧迫し、視力が急激に落ちている場合は、手術が検討されます。
現在、ほとんどの手術は「経鼻蝶形洞approach(経鼻蝶形洞手術)」で行われます。鼻の穴から脳の奥の腫瘍にアクセスする方法で、頭に切開をいれません。内視鏡を使って行う「内視鏡下経鼻蝶形洞手術」が主流で、腫瘍の大きさが1cm以下のマイクロアデノーマでは、95%以上の完全切除が可能です。
しかし、腫瘍が1cmを超えるマクロアデノーマになると、成功率は50~60%に下がります。特に、脳の側面にある「海綿静脈洞」に腫瘍が広がっていると、完全に取りきるのは難しいです。手術のリスクとしては、脳脊髄液の漏れ(2~5%)、尿量が急に増える「尿崩症」(5~10%)、手術直後に腫瘍が出血する「脳下垂体アポプラクシー」(1~2%)があります。
手術後、プロラクチン値が正常に戻っても、5年後に5%の人が再発します。マクロアデノーマでは再発率が25~30%と高めです。だから、手術後も定期的な血液検査とMRIが必要です。
放射線療法:最後の手段だが時間がかかる
薬でも手術でもコントロールできない場合、放射線療法が選ばれます。主に「ガンマナイフ」や「線形加速器」を使います。ガンマナイフは、1回の治療で高濃度の放射線を腫瘍に集中照射する方法で、視神経へのダメージが少ないのが特徴です。
しかし、放射線療法の最大の欠点は「効果が出るまでに時間がかかる」ことです。プロラクチン値が正常になるまで、2~5年かかります。治療後1年経っても、68%の人が症状が残っています。3年後には85%が改善しますが、その間にホルモンの分泌が低下する「低機能性脳下垂体」になるリスクがあります。10年以内に30~50%の人が、甲状腺ホルモンや副腎皮質ホルモンの補充が必要になります。
一方、ガンマナイフは、5年後の腫瘍制御率が95%と非常に高く、従来の放射線療法より安全性が優れています。視神経障害のリスクは1~2%で、従来の方法(5~10%)よりずっと低いです。
長期的な注意点と生活のヒント
薬物療法を続けるには、毎日の服薬を欠かさないことが極めて重要です。カベルゴリンを1日でも飲み忘れると、プロラクチン値は72時間以内に再上昇します。これは、腫瘍が再び大きくなるリスクを高めます。
また、カベルゴリンを2.5mg/日以上、3年以上飲み続けると、心臓の弁に異常が起こる可能性があります。欧州のガイドラインでは、この場合、年に1回の心臓超音波検査(エコー)を推奨しています。
手術や放射線療法を受けた後も、生涯にわたるフォローアップが必要です。プロラクチン値は、初期は3か月ごとに、安定したら年に1回チェックします。甲状腺機能、副腎機能、性ホルモンの値も定期的に確認します。
患者の多くが、治療を始めて数週間で「普通の生活」を取り戻します。月経が再開し、性欲が戻り、乳汁が止まります。でも、そのために必要なのは「諦めないこと」と「医師としっかり話すこと」です。
新しい治療の可能性:未来はもっと良くなる
2023年、アメリカFDAは「パルトソチン」という新しい薬を、成長ホルモン腫瘍(アクロメガリー)の治療として承認しました。この薬は、プロラクチノーマにも有効である可能性があり、現在臨床試験が進行中です。
また、腫瘍の遺伝子変異(GNAS、USP8)を調べることで、どの薬が効きやすいか、再発のリスクが高いかを予測する時代が来ています。将来的には、MRIと遺伝子検査の結果をAIが解析し、一人ひとりに最適な治療法を提案する時代になるでしょう。
しかし、現時点では、カベルゴリンが最も信頼できる治療法です。プロラクチノーマは、決して「治らない病気」ではありません。薬でコントロールでき、多くの人が元の生活を取り戻しています。大切なのは、早期に気づき、正しい治療を続けることです。
プロラクチン値が高いと必ず脳下垂体腫瘍ですか?
いいえ、必ずしもそうではありません。ストレス、睡眠不足、妊娠、一部の薬(抗うつ薬や胃薬)、胸の刺激などでもプロラクチンは一時的に上昇します。しかし、150ng/mL以上になると、プロラクチノーマの可能性が非常に高くなります。確認のためには、MRI検査と再検査が必要です。
カベルゴリンの副作用は強いですか?
悪心やめまい、鼻づまり、頭痛が起きることがありますが、多くは数週間で体が慣れて改善します。ブロモクリプチンに比べて副作用は少なくて、服用をやめる人は18%程度です。心臓の弁に影響が出る可能性があるため、長期服用(2.5mg/日以上、3年以上)の場合は、年に1回の心臓エコー検査が推奨されています。
手術をすれば、薬はもう必要ありませんか?
マイクロアデノーマ(1cm以下)では、手術で完全に取り除ければ、薬は必要なくなることがあります。しかし、マクロアデノーマでは、腫瘍が完全に取りきれないことが多く、手術後も薬を続ける必要があります。再発率も高く、5年後に25~30%の人が再発します。
妊娠したいのですが、治療中でも大丈夫ですか?
はい、可能です。プロラクチノーマの治療でプロラクチン値が正常化すれば、排卵が再開し、妊娠できるようになります。カベルゴリンは妊娠中にも安全とされており、多くの女性が治療を続けながら妊娠・出産しています。ただし、妊娠が確認されたら、医師と相談して薬を中止する場合が多いです。腫瘍が大きすぎる場合は、妊娠前に手術を検討することもあります。
放射線療法は、いつ選ばれますか?
薬物療法で効果が得られず、手術ができない、または手術後も再発した場合に選ばれます。特に、高齢者や他の病気で手術がリスクが高い人におすすめです。ただし、効果が出るまでに2~5年かかるため、即効性を求める人には向きません。また、長期的にはホルモンが不足するリスクがあるため、生涯のフォローアップが必要です。