特許が切れた後も、薬が競合のジェネリックに押されないのはなぜでしょうか?多くの人が「特許が切れたからジェネリックが出るはず」と思いますが、実際には、特許が切れてからも数年、時には10年以上も高価なオリジナル薬が市場を独占し続けることがあります。その秘密は、特許以外の「市場独占延長」の仕組みにあります。
特許だけでは足りない、医薬品の独占期間
通常、特許の有効期間は20年です。しかし、医薬品の場合、開発から販売までに10年以上かかることも珍しくありません。臨床試験を経て、薬事承認を受けるまでに時間がかかるため、実際に市場で売れる期間はとても短くなります。この問題を解決するために、1984年のアメリカの「ハッチ・ワクスマン法」が生まれました。この法律は、特許期間を延長するだけでなく、特許とは別の「規制的独占期間」を導入しました。
つまり、特許が切れた後でも、法的にジェネリックの販売を阻止できる仕組みが複数存在するのです。この仕組みは、製薬企業にとって「収益の延命装置」になっています。たとえば、ある薬の特許が切れた後も、他の独占権が重ねられて、実質的に20年以上にわたって独占状態が続くケースも珍しくありません。
アメリカの5つの規制的独占制度
アメリカでは、特許以外に、以下の5つの規制的独占制度が存在します。
- 新化学物質独占(NCE):新しい有効成分の薬には、5年間の独占期間が与えられます。この期間中、ジェネリックは申請できません。
- 希少疾患薬(オーファン薬)独占:患者数が20万人以下という稀な病気の治療薬には、7年間の独占が与えられます。これは、開発コストが回収できない病気へのインセンティブです。
- 新臨床試験独占:既存の薬に新しい効能を追加した場合、3年間の独占が与えられます。ただし、単に別の使い方をするだけでは認められず、臨床的に有意な効果を示す必要があります。
- 小児用薬独占:小児対象の臨床試験を実施した場合、既存の独占期間に6ヶ月が追加されます。この6ヶ月は、数億ドルの収益差を生むことがあります。
- ジェネリック企業の先行独占:最初に特許侵害の訴訟に勝ったジェネリック企業には、180日間の先行販売権が与えられます。これは、ジェネリック市場の競争を促すための仕組みです。
重要なのは、これらの独占期間が「重ねて」適用されることです。たとえば、ある薬がNCE独占(5年)+小児独占(+6ヶ月)+オーファン薬独占(7年)を受ければ、合計で12.5年もの独占が可能になります。しかも、これらの期間は特許とは独立して計算されるため、特許が切れた後も、これらの独占が残っている限り、ジェネリックは市場に出せません。
ヨーロッパの仕組み:SPCとデータ独占
ヨーロッパでは、アメリカとは少し違う仕組みが使われています。主な仕組みは「補足保護証明書(SPC)」です。SPCは、特許の20年+最大15年まで、市場独占を延長できます。つまり、理論上は35年間の独占が可能です。
また、ヨーロッパでは「データ独占」という概念が重要です。これは、製薬企業が提出した臨床試験データを、他の企業がジェネリック申請に使うことを8年間禁止する制度です。さらに、小児用データを提出すれば、この8年が10年、市場独占は最大12年になります。
オーファン薬についても、アメリカの7年より長い、10年(小児対応で12年)の独占が与えられます。ヨーロッパは、アメリカよりも「独占期間が長く、柔軟」な傾向があります。
「パテントスレッド」:特許の過剰な積み重ね
特許自体が切れた後でも、企業は「二次特許」を大量に申請して、市場を守ります。これを「パテントスレッド(特許の網)」と呼びます。
たとえば、ある薬の核心的な特許が切れた後でも、
- 新しい錠剤の形状
- 服用のタイミングを変える方法
- 副作用を減らす配合
- 投与方法の変更(注射から経口に)
といった、ごく小さな変更に対して、新たな特許を申請します。この戦略で、ある薬(タザロテン)は、核心の特許以外に48本もの追加特許を取得したという記録があります。
これらの二次特許は、法的に有効であっても、医学的には「本質的な進歩」ではないことが多いです。しかし、裁判所は、これらの特許を「無効」とするには、非常に高いハードルを設けています。そのため、製薬企業は、こうした「小さな変更」を次々と特許化し、ジェネリックの参入を遅らせるのです。
「プロダクトホッピング」:薬をちょっと変えて売る
もう一つの有名な戦略が「プロダクトホッピング」です。これは、特許が切れる直前に、薬をわずかに改良した「新製品」を発売し、患者や医師をそちらに移行させる戦略です。
たとえば、従来の錠剤から、飲みやすいカプセルに変更したり、1日1回から2回に変更したりします。ジェネリックは、元の薬のコピーしか作れません。そのため、患者が新しい形の薬に移行すれば、ジェネリックは「古い薬」しか売れない状況になります。
この戦略は、テバ・ファーマシューティカルズのようなジェネリックメーカーにとって大きな問題です。2022年の報告によると、ターゲット薬の17%で、この「プロダクトホッピング」によってジェネリックの市場参入が遅れたとされています。
経済的影響:何十億ドルの差
これらの仕組みは、単なる法的テクニックではありません。大きな経済的影響を持っています。
2023年の研究では、ビマトプロスト、セレコキシブ、グラチラマー、イマチニブという4つの薬について、ジェネリックが市場に出てから2年間の追加支出を計算しました。その結果、35億ドルもの追加コストが発生していたことがわかりました。
これは、ジェネリックが早く市場に出ていれば、患者や保険制度が節約できた金額です。アメリカの医薬品市場は2022年に6210億ドル規模でしたが、その78%は、ジェネリックが出ていないブランド薬が占めていました。つまり、10%の処方箋が、8割の売上を生んでいるのです。
規制の変化と今後の課題
しかし、この仕組みに対する批判も強まっています。米国連邦取引委員会(FTC)は、プロダクトホッピングが独占禁止法に違反する可能性があると、2023年に公式に意見を提出しました。
また、FDAは、新しい効能に対する3年間の独占を認める基準を厳しくしました。以前は「新しい使い方」だけで認められていましたが、現在は「臨床的に有意な効果」を示す必要があります。
一方で、製薬業界は、これらの制度が新薬開発の原動力だと主張します。新薬の開発には平均23億ドルかかり、その多くは失敗に終わります。オーファン薬の開発は、患者数が少ないので、独占期間がなければ企業は手を出しません。実際、FDAのデータでは、2022年には新薬承認の38%がオーファン薬でした。
このバランスをどう取るかが、今後の課題です。製薬企業は「革新を促すための制度」と言いますが、患者団体や医療経済学者は「利益優先の延命策」と指摘します。
実務の現場:専門チームが動く
大手製薬企業では、市場独占の管理に、15〜25人の専門チームが常駐しています。彼らは、特許弁理士、薬事担当、法務担当が一体となって、どの独占制度をいつ、どう使うかを戦略的に設計します。
開発の初期段階から、小児試験の実施、オーファン薬の申請、二次特許の出願のタイミングを、すべて計算して進めます。たとえば、ある企業は、臨床試験の第II相が終わるまで特許を出願しないことで、特許の20年を、市場投入とほぼ同時にスタートさせることに成功しました。
この戦略の成功例が、バージェックス・ファーマの囊胞性線維症治療薬です。彼らは、特許延長、小児独占、オーファン薬独占を巧みに組み合わせ、実質的な独占期間を20年以上に延ばしました。
結論:独占は「切れる」ものではない
特許が切れたからといって、薬の独占が終わるとは限りません。むしろ、特許が切れるのが、独占の「始まり」になることもあります。
市場独占延長は、医薬品業界の本質的な構造です。革新を促すという目的は正しいですが、その仕組みが、利益追求のための「抜け穴」と化しているのも事実です。
今後は、規制当局が「本当に価値のある革新」だけを保護し、単なる「細かい変更」や「販売戦略」による独占を制限する方向に進むでしょう。しかし、その変化はゆっくりと、そして、巨額の利益を守ろうとする企業の抵抗に阻まれながら進むでしょう。
あなたが薬を買うとき、それが「新薬」なのか、「特許が切れた薬」なのか、それとも「特許は切れたけど、他の独占が残っている薬」なのか--その違いが、あなたの支払う金額を大きく変えているのです。
特許が切れた後も、なぜジェネリックが出ないの?
特許が切れた後も、規制的独占(レギュラトリーエクスクルーシビティ)が残っているからです。たとえば、新薬には5年間の独占、オーファン薬には7年、小児試験をした場合は6ヶ月の延長が加わります。これらの期間は特許とは別に計算され、重ねて適用されるため、ジェネリックの販売が遅れるのです。
アメリカとヨーロッパの違いは?
アメリカは「特許延長(PTE)+複数の規制独占」で、最大14年が上限です。ヨーロッパは「補足保護証明書(SPC)」で、最大15年まで延長でき、さらにデータ独占と小児独占で合計12年まで延びます。ヨーロッパの方が、より柔軟で長い独占期間が可能です。
オーファン薬の独占はなぜ長いの?
オーファン薬は、患者数が20万人以下という稀な病気の治療薬です。開発コストが回収できないため、政府が独占期間を長くして、企業が開発をためらわないようにしています。アメリカは7年、ヨーロッパは10年(小児データ提出で12年)です。
「プロダクトホッピング」とは?
特許が切れる直前に、薬の形や服用方法をわずかに変えて「新製品」として発売し、患者や医師をそちらに移行させる戦略です。ジェネリックは元の薬しか作れないため、新しい形の薬が売れていれば、ジェネリックの需要が減ります。
この仕組みは患者に悪影響を与えるの?
はい、影響があります。ジェネリックが遅れると、薬の価格が高止まりし、患者や保険制度の負担が増します。たった4つの薬で、ジェネリックが出てから2年間で35億ドルの追加支出が発生したというデータもあります。しかし、オーファン薬のように、開発が難しい病気の治療には、この仕組みが不可欠でもあります。